
米原行きの電車ですので当然関ヶ原を通過します。
もうテンションうなぎのぼりですよ!
車内にいた人が電話で「あ、今関ヶ原」って言ってたのを聞いて、うちらも言ってみたいね〜!と大盛り上がりです。いいよね、今関ヶ原って。言いたい。
「いっそ誰かに電話しちゃおうかな!」
ヨナギさん待って!(笑)
ちなみにその前の杭瀬川でもばっちりハッスルしましたよ!オタクですから!
あっという間に長浜到着です。
久しぶりの三献茶の像ですよ!
正面の写真を撮ろうかと思ったけど、前回着たときにありえないほど撮りまくったので今回は諦めます。
自重せよ!

長浜城に向う途中に見つけた山内家の屋敷跡です。
この屋敷跡の石、横に長浜城への案内が乗っており、なおかつ長浜城に向けて歩いていると案内の方が正面向いていました。
セバスさんが気づかなかったらスルーしてたところですよ!
扱い悪いな!(笑)
特に目的ではないので半スルー(写真だけ撮る)して長浜城に向います。

やってきました長浜城!
前回は時間がなかったので外側を一目見るだけで帰ってしまった長浜城です。
長浜城より刑部(の墓)の方が優先度高いんじゃい!!
関ヶ原旅行だったしね!メインは関ヶ原だよ!
しかし今回はじっくり見れます。
何しろ最大の目的地ですから!盟友ツアーですから!
刑部(の墓)より優先度が低いとは言え、殿が少年期を過ごした城ですから重要ですよ!
ちっこい殿が刑部と遊んだり清正則と喧嘩したり秀吉のお手伝いしたりおねね様に叱られたりした場所ですよ!!!(妄想)

とりあえず色んな角度から激写
なんか、お仲間らしき女性の集団がいたりしました。
うん、盟友展だもんね☆

城は斜めから撮るのが一番格好いいと思う。
石垣の大きさがわかるしね!

長浜城はこの部分が一番好き。
なんか可愛いよ。

長浜城本丸前にあった、顔入れる奴。
セバスさんに入れてみたら?と聞いたんですが、断られました。
関ヶ原の殿と家康はやってくれたのに・・・。
とは言え、千代と一豊なので私も積極的に勧める気になれず(酷)写真だけ撮りました。
その後出てきた小学生たちが群がっていました。
若いっていいね。

天守閣の後ろにはこんな広場がありました。
花が咲きそうな(・・・)木がいっぱいあるので、殿のお小姓時代にここで花見をしていればいいと思うよ!
こんな感じで好き勝手に撮ってました!
ヨナギさんとセバスさんも好き勝手撮っておりました。
特にヨナギさんは長浜城を描きたいって言ってましたから熱が入っていたことでしょう。
え、なんで推測なのかって??
長浜城の写真を撮っている間完全別行動だったからです。
城に着いたとたん「散開!」とばかりに好き勝手動き始めたんですよ私達は。
お互い一言も断ろうとしないあたり慣れてます。
一緒に歴史オタク旅行を始めてから一度だって断った記憶はありませんが(笑)
何より怖いのが
自然に天守の後ろの広場に集まってきたことでしょうか
普通来ないだろ、天守閣の後ろ側なんて。
天守閣の背後には琵琶湖が広がっておりました。近いよ!
琵琶湖はそれはもう見事でした!
後で会う長浜城の人が琵琶湖のことを「海」って言っていたんですが、納得の広さです。
きっと殿も琵琶湖を最初に見たときに驚いたに違いない。
本物の海を見るまで琵琶湖のことを海だと思っていたに違いない。
堺の商人小西に海のことを話されて「海か・・俺も見たことあるぞ」とか言ってればいいよ。
刑部と海(琵琶湖)について盛り上がって小西に温かく見守られちゃえばいいよ。
私は殿をどんなかわいそうな子だと思っているんですか。

浜辺に会った太閤井戸。
きっとお小姓だった殿たちが水を汲みに来たに違いない。
水汲みなんてもっと下っ端がやるんじゃないのとか言うな。

太閤井戸の近くの石の傍でカラス二羽が遊んでました。
可愛い。

浜辺からちょっと行ったところにある長浜城石垣出土地付近で寄ってきた猫です。
可愛い動物好きなんでカメラ持ってるときに近づかれると撮っちゃうよ。
この写真じゃよくわからないでしょうがこの猫、左目がふさがっているみたいなんです・・。
それを見たヨナギさんが一言
「あ、伊達政宗だ!」
いや、ちょっと待て。
「違うよ、
逆だよ」
独眼竜は右目ですぜダンナ!
「
じゃあアニキだ!!」
ここで少し補足を。アニキとはBASARAの長宗我部元親のことです。
本物の彼は独眼ではないのですが、BASARAではなぜか眼帯してます。
眼帯は右の独眼流とは反対の左です。
あ、ちょっと待って、かわいそうな子扱いしないで!

長浜城本丸跡です。
ようやく城に戻ってきました。この間およそ1時間。
ちょっと時間とりすぎじゃないかって?ノープロブレム!
城の周りを回る時間も予定に入ってました。
長浜城は桜の名所らしいですよ。
立派な柵の中に入っていたのは松でしたが。
では、長浜城に潜入です!

展示品は撮影禁止だったので、一階の千成瓢箪だけでも!
階段を登ったらいきなり一豊家の紋で溢れていました。
三つ葉柏の葉が太ければいいのにな(葉の太い三つ葉柏は左近の紋です)と思ってしまった私ってば正直者。
その近くには一豊公のお出迎えが。
大河ドラマとからめて色々山内家のことを紹介してたような気がしますが
大河よりも、山内家よりも
それがし、千代に尻に敷かれております。
という主張がばしばし伝わってきました。
基本的に私達は千代や一豊に興味がないのですが、というか長宗我部好きの私はあんまり好意の持ちようがないんですが
この一豊は可愛い
わぁなにこいつ!ときめく!
その後は庶民の生活系やら絵やら屏風やらがあったのですが
きました。
殿と刑部のコーナー!!
狐目で反っ歯な方の殿の絵姿とおいおいおいお前顔隠してないじゃねぇかな刑部の絵姿があり、その前には刑部の書状と殿の書状、殿の検地尺がありました。
案内の方によると、殿の絵姿は津軽に行った殿の次男隼人正重成の子孫が関ヶ原後(そこまで時間たってない)に書かせた絵姿で、数ある殿の絵姿の中で最も石田三成を伝えているものだそうです。
一方刑部の方は関ヶ原からず〜っと経ってから想像で書かれたものだそうです。
私達が食い入るように殿と刑部の手紙を見ている間案内の方は一生懸命説明してくれました。まぁほとんど知っていることなんで相槌も薄く聞いていたんですが、案内の方が一言
「大谷吉継は舟を持っていたんですよ」
という新情報が出るなり
「ホントですか!!!?」
食いつきが違う。わかりやすい。
刑部が福井の舟を掌ってる人に宛てて書いた手紙がいっぱいあるそうです。
舟=小西(もしくは村上・九鬼)のイメージだったけど・・刑部!(なんか嬉しい)
案内の方は刑部や殿に対してすごく好意的で、刑部が朝鮮役で軍艦という憎まれ役をやっていたことを説明してくれました。
軍艦・憎まれ役というと殿って感じですが、刑部もそういえばそうなんですよね・・刑部は人に好かれていた設定が多いからあんまり意識してなかった・・。
さらに
「山内一豊は関ヶ原で、ほら、裏切り者だから」
言っちゃった!
城をあげてプッシュしてる人を裏切り者扱いですよ!
長浜の人は豊臣贔屓なんだと心から感じた瞬間です。
わぁい!嬉しい!
そういえば殿と刑部コーナーでは一豊ではなく殿が案内してくれるんだけど、なんか口調が幼い。ぼくアンパンマン・・みたいな感じ。
僕にはたくさんの素敵な仕事仲間がいるんだけど、今日は大の仲良しの大谷吉継君の仕事についてちょっと紹介します
見たいな事が書いてました。可愛っ!!!
おおたによしつぐくんですってよ!
まぁ素敵な仲間のほとんどに裏切られるんですが、ね・・。
さらに関ヶ原の戦い関連の展示でもまた殿の案内があるんですが
後の人たちは結果だけ見て無謀だったとか言うけれど、関ヶ原の戦いが始まるまでは西軍の方が人数が多く、勝つ見込みだってあった。
そして殿や刑部は義の人として立ち上がったのではなく、殿には殿の新しい政治構想がありそれに賛同してくれる人たちがあった。
家康の政治構想とぶつかって戦いになって負けてしまったけど、それは少しだけ殿たちの力が足りなかっただけなんだ。
みたいな事が書いてありました。すごい要約です。本物はもっともっと可愛く感動的でした。うろ覚えなので要約すら間違っていたら申し訳ありません。
でもこれ、長浜の人たちの殿への愛情がひしひしと伝わってくると思いませんか?
義の人として祭り上げられるのではなく、殿には殿の新時代への構想があり、それに賛同してくれる人たちがいたというのが、もう本当に嬉しい!
ありがとう長浜城!!!
肝心の展示ですが、8割刑部でした。
いや、全く不満はないですが、8割でした。
殿の資料は結構あるけれど、刑部の資料はあんまり見たことないのでむしろどんと来いでしたよ。
刑部の資料がこんなに・・滅多にないことですよ!
その資料も手紙が主だったんですが
この間はお菓子とお金くれて、ありがとう
なまこ一箱届きました。ありがとう
(なまこ一箱到来、□満足 /□は覚えてないとこ)
お菓子と昆布くれてありがとう
でも
その後昆布が入ってこないんですけど
(昆布不入来)
みたいなお礼状がいっぱいありました。
いや、真面目な書状もいっぱいあったんですけど!
なまこと昆布のインパクトが強かったんだよ!
真面目なところでは
大谷刑部少輔を「大刑少」と訳していたり
敦賀を「つるか」と書いていたり
朝鮮からの手紙で「天正廿一年」と書いていたりしました。
特に天正二十一年はびっくりした。
天正は二十年までなんだそうです。
でも刑部は朝鮮に行っていたから元号が変わったことなんて知らないんですよね。
なんか生々しい・・。
ついでに、刑部の字はなかなか綺麗で丸字ぎみでした。
やっぱり殿の字は汚いんだと実感。
我ら殿以外の人の字を見て殿の字が汚いということを確認するの大好きです。
だって殿は字が汚いほうが萌えるんだもん。
特にある書状の「九月九日」の字はもはや芸術じゃないでしょうか。
読めないよ。ホントに。
さて、展示を見終わって(山内家とかの展示もありましたよ!有名なまないた(?)とか!)天守閣に登ります

まずは佐和山チェック。残念ながらビルに隠れ・・って隠れてなくても何もないんですが、ね。

長浜城からすぐ琵琶湖が見れます。琵琶湖はやはり大きいです。
そして風がありえないぐらい強いです。寒いです。凍えます。

琵琶湖とは反対側、石田村です。
タクシーで結構かかったはずなのに、よく見えます。
昔は田圃しかなかっただろうからもっと見えたことでしょう。
殿が最初に天守閣登ったときに石田村を見たんだろうな〜・・(妄想)

ついでに賤ヶ岳古戦場。
殿と刑部が先駆衆として活躍したところですよ!
ホントかどうか知らないけど。
姉川合戦の地も近いし、長浜って本当に史跡の宝庫だ。
さて、長浜城を堪能して目的は達成したんですが、折角長浜まで来たので次はどこに行こうかという話になります。
本当は観音寺に行く予定だったんですが、観音寺方面に黒い雨雲がかかってます。
さすがに自転車であそこは・・ということで次の目的地を決めなければなりません。
雨振りそうだから関ヶ原は無理だし、雨の佐和山は死にそうだし、この間時間なくて回れなかった彦根の博物館でも行くか〜ということになり、電車の時間までぶらぶら長浜当りを散策しました。

長浜城内外堀
内外堀ってなんぞや。
内堀なのか外堀なのかその間なのか。

今度はちゃんとした外堀です。

長浜城大手門跡

豊国神社
そういえば前回うちら裏門から入ってこの表門見てなかった。
お、そういえばこの間清正が上手く撮れなかったんだよな〜今度こそ!
ぐっ・・またかよ!また綺麗に撮らせてくれないのかよ!
後姿は撮らせてくれる・・・
このシャイボーイめ!
暫く歩いてからまた豊国神社に戻ってきました。
さっきまで逆光だった清正が光から外れてます。
今がチャンス!!!
いい加減にしろ。
そんなに私に撮られたくないのか!!!
このシャイボーイが!勘弁してくれ!
ここで私が清正のことをシャイボーイシャイボーイ言って奮戦してたらヨナギさんが一言
「TOO SHY SHY BOY って曲あったよね」
清正のテーマソングが決まった!(たらららったら〜)

ようやく撮れた一枚。
手間かけさせやがって!(態度でか)

殿が暮らしてた(決定!?)家臣団屋敷跡
と

半兵衛さんの歌。
え、読めないって?
君が代も わが代も共に 長濱の
真砂のか須の つき屋らぬまで
って書いてあります。
それではそろそろ電車の時間になりましたので彦根に向けて出発です。
あ、そうそう。

長浜で買ったお菓子。
秀吉の陣太鼓(どら焼きっぽい)
太閤饅頭
女太閤記(おねね様のことですな)
栗最中
ネタでお菓子選びましたがなにか?
彦根についてとりあえずすることは井伊さんの写真を撮ること。
ってもいつもいつも正面の井伊さんも撮ってもしようがないので今度は
おしり撮ってみました。
さてそれでは彦根城に出発です。
佐和口多聞櫓やら馬屋やらを再度見ながらつきました。
彦根城です!またかよとか、言わない!

途中で彦根城名物(?)黒鳥とか

おもしろポストとか発見。
今回は時間がないので城には行かず彦根城博物館の方に入ってみることにしました。
この間はタイムアウトで行かなかったところです。
中には歴代井伊さんのお手紙とか、甲冑とか色々ありました。
しかし、この博物館で得た一番の収穫と言えば・・
井 伊 の 直 弼 さん ってば もしかして
変 人 ?
いや、なんか、遺された色んなものを見ると変人オーラがバシバシと・・
すごい好みな感じなんですけど!
気になるよ・・この人・・
特に床の間(?)に花を飾るなんか(・・・)が素敵でした。
庭に花があるから器だけを作って花見をしたそうな。
粋ですな!

展示品を楽しんだ後は復元された表御殿を楽しみます。
いい家住んでるじゃないですか・・。いい庭だ。

井伊さんの庭で写真撮影。
なんで片方立ってるかというと・・資料です(笑)
彦根城博物館には能舞台もありました。
いつかここで能を見てみたいな!

最後に宗安寺に行って盟友ツアー終了です。